1928 |
アメリカ・ペンシルヴァニア州ピッツバーグ市に8月6日生まれる。 |
1945 |
ピッツバーグのカーネギー工科大学に入学。
絵画・デザイン科で実技・美術史・芸術社会学・写真心理学を学ぶ。 |
1949 |
カーネギー工科大学の美術部門の学士号をとり、卒業する。 |
1952 |
ヒューゴ画廊(NY)で最初の個展。 |
1953 |
ロアー・イーストサイドのオフ・ブロードウェイスタイルの劇団に参加。2年間活動する。 |
1962 |
「ファクトリー」を友人のグループと設立する。
この頃からデザインやコマーシャルの世界から美術・映画の世界にのりだす。マリリン・モンローの死に出会い、「マリリン」を制作。 |
1963 |
映画の制作を始める。グッゲンハイム美術館(NY)での
「Six painter and the object」展に出品。 |
1966 |
映画「チェルシー・ガールズ」制作。 |
1967 |
カンヌ映画祭にアンダーグラウンド映画として、初めて出品する。
ホイットニー美術館(NY)での、「シックスティーズ」に出品。
Expo’67合衆国館「アメリカ現代美術展」に出品。 |
1970 |
「ライフ」誌が、’60年代にもっとも影響力のあった人物としてビートルズとアンディー・ウォーホルをあげる。 |
1971 |
ローリングストーンズのアルバムのジャケットを制作。 |
1975 |
エリザベス・テイラー主催「ドライバーズ・シート」に出演する。 |
1979 |
「アンディー・ウォーホル・エクスポージャー」刊行。
ダリ、キッシンジャー、ジャック・ニコルソン、ダスティン・ホフマン、ジョン・レノン、モハメド・アリ、エリザベス・テイラーなどの有名人が“露出(エクスポージャー)”される。 |
1980 |
マンハッタン・ケーブルTVでアンディー・ウォーホルをホストにしたバラエティーショー放映。 |
1983 |
日本での展覧会のために「KIKU」シリーズ、「LOVE」シリーズを制作。6月、渋谷パルコにて個展。「アンディー・ウォーホル・センセーション’83」 |
1987 |
心臓発作のため急逝。享年58歳 |
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